(訳文)
どうして宮廷ではなく、修道院でと言われるだろうか? ソレム修道院のソルネール修道僧に拠れば:≪ブルゴーニュ公の宮廷もこの点において修道院には及ばなかったのではないか≫信仰をも揺るがす考えだけれど。
王侯貴族の宮廷と修道院は、その精神からくる基本的な違いの元に発展してきた。宮廷は物質的豊かさの上に立脚する:催される歓待は豪華な宴会と山積みの料理であり勢力の具現化である;量の多さがその勢力の象徴であり、その質の良さは宴会の良し悪しにあまり問われない。それは修道院の哲学とは全く異にする! 修道院の中でそんな様子を決して目にしたことはない、それは確かに修道院の歴史の中には領主がするように多くの偉大な、高貴な人々を迎える事があったけれど、それは修道院の活動が活発であるゆえ、人をもてなす宗派の役割を果たすだけである。先ず宗教があり、政治はそれに属する。
このきちんと人“le passant”をもてなすという精神は、後にあらゆる洗練された方法が修道院という天佑の場で発展して行く。勿論その中には食生活も含まれるもので、それを語る時2つの事が切り離せない;洗練された食卓―そのきちんとした仕草やエチケット―と料理である。前者の要因が無意識のうちに前提となって、つまりおいしい料理がそこに存在する。(訳文了)
中世と一口に言っても、ローマ時代の後からルネッサンス迄つまり5世紀から15世紀迄ザッと10世紀―1000年あり、長らくこの時代は「暗黒の時代」とも言われ続けました。あまり詳しい事が分っていなかったからこんな名前を付けたとかつけなかったとか。20世紀後半からヨーロッパでは様々な方面から発掘が始る気がするけど、ウンベルト・エーコの『薔薇の名』などもその成果であり、これを契機に中世が一般に近づいた気もします。小説、映画の両面において作者の専門である時代だけに緻密な時代考証や知的遺産の再確認とウィリアム・オッカムのような魅力的人物設定―映画では配役ショーン・コネリーという意外さは作家のこの時代への顕学にも由来すると思うが、この時代に対しての新たな視点を与え、多くの人をこの時代に惹き付けたような気がします。上の写真は現代のとある修道院の食卓の様子。