(訳文)p11
修道僧のテーブルには何が載るか?
当然ながら : 修道僧達はごちそうが好きだったにちがいない、でなければ何故こんなに沢山の規則が必要だったろうか? 彼等は厳しい断食の時期に束縛され、反動で、自然と祭日を強調する事になり、許された食品を腕によりをかけて調理して祭日を祝う(中には礼拝が軽減する場合もある)。祭日によって食事が変わる。
修道院での多くの習慣をみると、食べものに気をつけていたことがわかる:それは、後に続く章によって詳しく説明するが、いくつか例をあげるとビールの温度:≪夏にはやや冷やして、冬にはあまり冷たくなくしてサーヴィスする≫。料理の塩は湿気に気をつけるように書いてある:≪水っぽくなるようなら交換する≫。豆の煮加減は完璧を求める...台所では石のテーブルや保温設備があり薪で温めるようになっていて、食堂に運ばれる迄料理は温かいままになっている。
これらの詳細な事実によって台所や料理方法の重要性がわかる。それから禁欲を強くする修道会もあるが、トラピストでは、修道僧の精神的な工夫が単調な食事に変化をつける;それは創始者の思し召しでもあり≪ラベ・タンペット=嵐の修道院長≫は、何ヶ月もの間同じ料理を出さないように命じた。
普通の日の食事
大抵、といっても11世紀の話だが、一日で最も重い食事は昼頃にとり次のようになる:料理2皿(ひとつは豆、もうひとつは野菜)、生野菜か果物が1皿、パン450g、ワイン270cc。曜日によってチーズと卵一人前を二人で(月、水、金曜日)又は卵1人一人前(火、土曜日)又は魚(木、日曜日)。
年のうちある期間は、夜に2回目の食事があり、それは実に質素で、パンとワイン、あるいは菓子、あるいは鱒―フルーリの例。断食の期間、日に一度の食事はノヌか15時である。コラションは時々夜に食べる質素な食事をさす。修道院の習慣だが夜は、聖人ブノワの薦めで、カシアンの文を読み合わせたが、これも同様にコラションという。カシアンは5世紀の初めにマルセイユにあるサン・ヴィクトワール修道院を創設し、そこで最盛期は5000人の修道僧がいた。最初は、修道僧が集まって、読書だけをしたが、読書後軽い食事をとる習慣ができ、読み合わせから名前が取られ≪コラション≫となった。
禁欲的な筈なのにネ、上の記事を読むと、幸せそうにニコニコしながら食事に向かうお坊さんが目に浮かびます、お腹が突き出た。
美味しく食べる意欲には、舌を巻きます。ホントなの? でも食べられる野菜もお魚もこれなら成仏できるでしょう。数ヶ月の間同じ料理を出さないようにするというのは、限られた食材の中で、大変な創意工夫!
“塩”に関して、そんなに湿気っぽくなるっていうのがわからないけど、どういうことかしら?
普通の日、パンの量がえらく多いのでオドロキですが、1リーヴルだから、間違いないのよ、これ、焼く前の重さかしら? よく食べるわねぇ、こんな分量を一度に食べるなんて凄いワ。食溜めするから太るのよ。読書後の軽い食事を読書と同じように呼ぶのは、おおっぴらにしたくない心理が働いてるからヨ、絶対! これは、必要より、食いしん坊のうちに入ると思うワ。