大分前に手に入れた本、
『La CUISINE DES MONASTERES』マーク・ムノーとアニー・カーン共著
を読みながらザッと訳していこうと思う。
中世の修道院というのは知識エリートの集まるところであり、最先端文化の集まる所。同時代の権力者達が現在の私達からするとずいぶん粗暴な暮らし方をしていた頃、修道院の中では禁欲的で洗練された生活が営まれていたようだ。食べ物に限らず、様々興味は尽きないが先ずは食足りて...。
(訳文)P9
修道院の食べ物について書くというのは、障りや気兼ねがあり何より挑発的でもある。確かに禁欲的な生活をする修道院では精神的食物ならともかく、食べ物ににこだわるところではない。それは無鉄砲であり難解だが、興味を惹くものでもあった。太ったお腹の出た修道僧のイメージは誰でも持っている:しかしどうして坊主が太っているだろうか?
調べ始めた最初の頃、シトー派修道院で―名前は明かせないが―古文書係の修道僧から渡された資料で見出したことは、中世初頭、修道僧は一年に156日歓待をしたというが、ことごとく饗宴を催す口実となったというものである。それはつまり、人生を楽しむことを知るという、信仰の監督者というより、地方のお偉方といったところで、自然、のどが渇けばミルクを口にするとかいう姿が想像できるもので、、、そんな姿も好ましい。
しかし、中世に関する資料を集めに多くの修道院を訪ね回る初めの頃に、私の視点はすっかり修正された。クリストフ僧の表現が私には非常に美しく思えるがそれによると、粗食であることは≪質素な酩酊≫となる。
人はそれぞれ強い所もあれば弱い所もあり、悪徳と美徳ともいえるけれど、偉大といわれる人々、高い教養を持ち、高い精神を持ち、働き者で、創意に満ち、開拓者であり、伝統を守る人々である。それらの中には彼の高名な西欧修道僧の長である聖人ブノワもいる。彼は480年イタリアに生まれ、525年にモン=カッサン修道院を創設する。精神と知識の統一者、法王ピー十二世の表現によれば彼は≪ヨーロッパの父≫でもある。
先ずはなにより、修道院の台所で発見されたものには、古代ギリシャやガロロマン時代からの食いしん坊による伝統が修道院の壁に守られて潜んでいたるのを見つけた。(訳文了)